『Garden』
第一章:魔女の岬に住む少女
―1―
ガーデンハート国国軍少佐アデル・ガーランドは、眉間に皺を寄せ、本日何度目か分からない溜め息を漏らした。
「はぁ・・・・」
その表情があまりにも深刻そうだったからだろうか。同じ乗合馬車に乗った向かいの席の老婆が、親しみある笑顔で声を掛けてきた。
「若いのに、苦労なさっているんですねぇ。」
「え・・・あ、はぁ・・。」
アデルは曖昧な表情で頷く。
自分はそんなに人に見咎められる程の回数、溜め息を吐いていただろうか。
それほど深刻な理由で吐いた溜め息ではないのに、人目を惹いてしまったのはよくないことだ。
ただでさえ此処は他国の土地で、その上極秘任務を帯びて来ているのだ。あまり地元の人間と親しく接しておきたくはない。下手に顔を覚えられても厄介だと、被っていたハンチング帽を目深に被り直した。視界の端で、自分の黒い前髪が揺れる。
しかしその仕草が、突然話し掛けられたことに対しての照れ隠しかなにかだと勘違いされたのだろう。老婆は益々もって、親切にもアデルの方へ言葉を投げかけてくる。
「あなた、此処へは観光で?それとも、その様子だとお仕事かしら?」
お仕事の件に正直肝が冷える思いがしたが、それを表面に出す程彼も馬鹿ではない。第一、今は軍服のような目立つ服装ではなく、極々一般的な出で立ちだ。そうそう自分の身分がバレる心配などない。なんでもない風を装って、「観光です。」と笑顔で返した。
「そうなの。ネリネへは初めて?」
老婆は若者が自分の言葉に反応してくれたことが余程嬉しかったのか、最早会話を切り上げる様子はなく、まるで久しぶりに再会した孫とでも言葉を交わすような調子で続ける。流石にこれを今更跳ね返す訳にもいかないだろう。アデルは内心の鬱屈な気持ちをなんとか脇へ追いやって、老婆との会話に意識を向けた。
「えぇ。」
「いいところでしょう、ネリネは。でも、どうしてラントなんてこんな田舎の方に?観光なら、首都のネリアの方がもっと見るところがあるでしょうに。」
「実はこちらの方に、祖父の古い知人がおりまして。祖父は長い間、またその知人と会って話がしたいと言っておりましたが、ついにその願いも叶わず、先月亡くなってしまいました。」
「まぁ・・・それは、ご愁傷様です。」
アデルはフッと寂しげに微笑んでみせる。心の中では、我ながらよくこれだけの嘘がべらべらと出てくるものだ。などと思っているなど、露ほどにも見せない。
彼はそのまま、哀愁を帯びた祖父思いの好青年を演じることにした。
「その祖父の死の知らせを知人に送ろうにも、分かっている住所はかなり古い物ですし、どうせなら、観光がてら祖父が親しくしていたという知人を訪ねてみるのもいいかと思いまして・・・・。」
と、そこまで話し終えて、アデルは自分へ向けられる周囲の視線が、どこか同情を含んだものになっていることに気がつく。
これは、少々やりすぎてしまったかもしれない。
決して広くはない乗合馬車だ。そこで話をしたら、どうしたって他の同乗者にも聞こえてしまう。目の前の老婆以外で同乗していた2,3人の人間は、いつの間にかアデルの方にちらちらと視線を投げかけ、若いのになんて祖父思いの青年なんだ、といった目で見つめていた。老婆は、いつの間に取り出したのか手持ちのハンカチを目元に宛い、湿った声で答える。
「そうでしたの・・・・それは、悪いことを聞いてしまいましたね・・。」
「いえ・・・。」
これは困った。適当に話して、早々に会話を切り上げてやろうという目論みは、自分の舌のあまりの饒舌さ故に、尚更相手にとって印象深い青年像を残してしまったようだ。
だが、今の話のおかげで、老婆は先程までの彼の溜め息の理由がそれだと思ったのだろう。深く何度も頷いて、「そうだったの・・・。」と呟く。
そこまで信用されてしまうと、嘘をついた方としてはどうにも居心地が悪かったが、これも無事任務を遂行するためだと思い、アデルは良心に蓋をした。
乗合馬車はガタゴトと、凹凸の激しい田舎道を進む。
老婆は一通り目元を拭い、それからまたアデルの方へ、今度は更に親しみの籠もった瞳を向けた。
「ラントは田舎ですけど、緑の多い豊かな町ですよ。どうぞ、ゆっくり観光なさって。」
「えぇ。」
老婆から向けられた瞳と言葉に、折角蓋をした良心が再び顔を出しそうになったが、それもなんとかやり過ごして、アデルは好青年の笑顔で答える。どうやらこれで話が切り上がりそうだと、内心ホッと息を吐いた。
「そうそう、折角観光にいらしたのなら、この先にある“魔女の岬”に行くといいわ。」
そうだ。すっかり失念していた。この年の女性は、こんなことぐらいでは簡単に話を切り上げてくれたりはしない。
再び話し出した老婆にアデルはほとほと閉口したが、そんなことよりも、今度は自分にとっても気になる話題だったため、そのまま話を聞くことにした。
「魔女の岬?」
「えぇ。この先の海に面しているところは、見晴らしのいい高台になっていましてね。そこには昔から、魔女が住んでいるんです。それで“魔女の岬”なんて呼ばれているんですよ。」
「魔女・・ですか・・・。」
アデルが疑わしそうな表情をすると、それを見て老婆は明るい笑い声を上げる。
「まぁ、魔女と言っても、此処にいる魔女はどこかにある伝承のように人に災いをもたらしたりなんてことはしませんよ。町の人達とも仲が良いし、この辺りでは薬屋で薬を買うよりも、何かあったらその魔女の所へ行った方がよっぽど良い薬が貰えるって、専らの評判でしてね。それに、あそこは景色も空気も良いところですから、一度見に行くだけでも損はしませんよ。」
「そうですか・・・。」
アデルは一度そう言って言葉を切ってから、一瞬逡巡した後、意を決したように老婆に質問をした。
「あの、その魔女の作る薬というのは、魔術・・なんかを使って作っているんですか?」
「魔術?」
老婆はあまり耳慣れない言葉を聞いたようで、キョトンとした顔だ。アデルは慌てて訂正する。
「いや、なんでもありません。分からないならいいんです。その、変なことを聞いてしまって・・・・」
「そうねぇ・・・。」
ゆっくりと、しかしはっきり、老婆はアデルの言葉を遮るように一声そう呟いた後、感慨深そうな表情で言った。
「魔術・・・あれがそうだと言うのなら、そうなのかもしれないわねぇ・・。」
ガタンゴトンッ。
「それじゃあ、お気を付けて。」
乗合馬車は、左右に大きく車体を揺らしながらアデルの前を通り過ぎていった。すっかり親しくなってしまった老婆は、丘陵地の上にいるアデルの姿が見えなくなるまでずっと手を振っている。
それも見えなくなってしまってから、アデルはやっと肩の力を抜いて一つ息を吐いてから、ジンジンと痺れを訴える腰の部分に手を当てた。
まさか、あの眉間に寄った皺と回数の多い溜め息の原因が、長時間の乗り慣れない乗合馬車の硬い椅子と揺れの激しい田舎道の所為であったことなど、あの老婆も気がつかないだろう。
トントンと腰の辺りを数回叩いて、うんと伸びをしてから、アデルはこれから向かう道程へと視線を向けた。
(・・・森、だな・・。)
乗合馬車が通って行った割と開けた道に対して、そこから脇の方に伸びた道は、どう見ても人が数回行き来をしてやっと草が生えなくなった程度の細い道だ。しかもその道は、明らかに木の生い茂った深い森の中へと続いている。
自分はこの青々とした草原の広く開けた場所から、あの黒々と背の高い木々が日の光を通さんばかりに生い茂った森の中へと足を踏み入れなければならないのか。
そう思っただけで、大分げんなりしてきた。
アデルは、穏やかな日が差す温かな春の陽気の下、覚悟を決めて青空の下から日の見えない暗い森の中へと足を進めた。
ザッザッザッ・・・・――――――
道の通り、進んでいると思う。
時折目の前に現れる細い木の枝を掻き分けながら、アデルは道なき道を進んでいた。いや、実際にはよくよく見れば分かるぐらいの、細い道はあるのだ。でも、これを果たして道と呼んでいいものか。
いくら極秘任務と言っても、これは軍の訓練じゃない。それにしては、何だか野営の訓練地に赴いたときと似た感覚がするのは何故だ。一瞬・・・と言わず何瞬もそういう思いが頭を過ぎったが、そんな考えはなんとか頭の端に追いやった。とにかく今は、目の前の道(?)を進むしかない。
そう、今回の任務は極秘な上に、今後の世界の命運を掛けた重大な任務なのだ。
アデルは強く拳を握りしめ、進む足の速度を速めた。
“Garden”
この世界がその名で呼ばれるようになったのは、ほんの800年程前のことだ。
それまで世界は数多くの争いの中で、どの国も領主が変わる度に名を変え土地の形を変え、世界地図など作るだけ無駄だと言われる程に、激しくその様相を変化させていった。
ある時、あまりにも国が安定しないのはよくないと、ある国が国名をその国の国花の名に決めた。するとそれを真似るように、次々と他国も自分の国の名を花の名に決め、それ以後その名の改変だけはしないと定める。
そしていつしか、この世界は花々の名を国の名とすることから“Garden”と、呼ばれるようになった。
しかし、いくら国名を決め世界の名を決めたところで、国同士の領地を巡る争いは絶えない。Gardenは、その美しい名とは到底かけ離れた、争いの絶えない戦争と恐怖の渦巻く荒廃した世界だった。
そんな中、世界を変える救世主が現れる。
現ガーデンハート国国王、ルイ・セイバーン。
彼は、この荒んだ世界を一つの平和な世界にしようと立ち上がった革命家だった。ルイは、硬く国を分かつ国境という壁を擦り抜け、世界中を旅して周り、密かにこの世の平和を願う同志を集めた。そうして集まった同志達はある時、一斉に行動を開始する。
庭歴832年、世界平和革命。
これによって勝利を得たルイは、Gardenの中心に「ガーデンハート国」を建国した。
ガーデンハート国は、国籍、国境といった枠に捕らわれず、世界中の人々を受け入れ、国同士の交流のためにと生み出された国だった。
ルイは、形式上はこの国の国王として在るが、実際には自身で大きな権力を持とうとは考えなかった。そして、他国の王たちに以下のような宣言をしたのだ。
“このガーデンハート国は、世界中の民の出入りを許し、且つ、この国のことは各国の代表者が議会をもって決定する。又、国同士の様々な問題もこの国で話し合いの場を設け、そこでの解決を主とする。”
こうしてガーデンハート国は世界のパイプ役を果たし、話し合いで解決できる小さな問題は戦争という大きな形をとらなくてもよくなっていった。
世界は平和を手にしたのだ。
それから、年月は過ぎ、庭歴857年。
今また、世界は暗い時代を迎えようとしている。
(!あれは・・・・)
アデルはどこまで行っても変わらない草木の風景の中、今までとは違う新しい景色を見つけた。日の光が道の先を照らしている。目の前に、この森の出口が見えていた。
ゴールを見つければ、自然と早足になってしまうものだ。半ば駆け足にも近い速度で、アデルはそのゴールまで真っ直ぐに、森の中を進んだ。
ザッ・・―――!
木を掻き分け、数分ぶりの日の下へ出る。
森の暗さに慣れた目は、突然の光量に即座に対応出来ず、瞬間、視界が白くぼやけた。咄嗟に右腕を前に翳し、日光を遮る。しばらくすると、明るさに目が慣れ、目の前の景色がはっきりと、その黒い両の目の中に映った。
「!!」
目の前に広がる草原。その草の青さは、この森に入る前に見た土地に生えているものよりも数段青く、日の光にその葉をてらてらと輝かせている。その間を一本の綺麗な道が、飴色の地肌を見せて伸びていた。
その先には、平たい岩を小端積みにした背の低い石垣が続き、道はその間にある可愛らしい装飾の小さな門へと続いている。
その門の向こう側に見えるのは、小さな木造造りの家だ。赤茶けた石の屋根からは蔦がしなだれ落ち、窓の前で揺らめいている。家自体はとても小振りで、その周囲の広い庭では色とりどりの季節の花が咲き乱れていた。小さな桟橋のような物が付いた池も見える。
その更に背景には、どこまでも続くマリンブルーとスカイブルーが美しいコントラストを見せて広がっていた。
アデルは、その場から一歩も動けないでいた。
一体、自分はどこか不思議な世界にでも迷い込んでしまったのかと思う程、それは別世界のような光景だった。言葉を失い、ただその景色に目を奪われる。
素朴で、どこか懐かしささえ感じさせる温かな風景。風は、潮と緑の香りを乗せて優しくアデルの頬を撫でた。
(此処が・・魔女の岬・・・・・)
老婆がその名を口にした時は、また心臓が跳ねたような気がした。何故ならその場所こそ、自分が目指していた目的地だったからだ。
世界に平和を。そのために、ガーデンハート以外は未だ取り締まりの厳しい国の国境を抜け、このネリネまでやってきた。今から自分が会うのは、“魔女”と呼ばれる人間。
嫌でも体中に力が入る。
軽く一呼吸置き、アデルは目指す家から少し高い位置にあるその丘陵地を歩き始め・・・・
ドンッ!!
「はぅあっ!」
「!?・・・っな・・!;;」
ようとしたところで、突如背後からの攻撃に宙に浮かせた片足がおかしな形で地面に着地した。いや、着地はしなかった。変な格好で地面に激突した片足と、衝撃のため前のめりになった身体の所為で、アデルはそのまま丘陵地の坂に頭から突っ込んだのだ。
背後からぶつかってきた刺客(?)もその勢いで一緒に坂を転がり落ちる。
「うわああぁぁぁぁ・・・っ!!」
「きゃーーーーっ・・・・!!」
これが不幸中の幸いとでも言うのだろうか。
アデルと刺客は、目の前には他に道がなかったために、家に向かって伸びる綺麗な一本道の上を、これまたきちんと道なりに沿って転がっていく。
ゴロンゴロンゴロンゴロン・・・・・・―――――――
こんな緩やかな丘陵地で、どうしてこんなに見事な転がりをみせているのか。
天と地が何度も目の前を交互に行き交い、そろそろ二つの境界が曖昧になり始めた頃、その見事な肉弾大玉転がしは始まりと同様、これまた唐突に終わった。ガシャンッという不穏な音を響かせて。
「いっつ・・っ!//」
「へぶしっ・・!!」
この大玉を止めたのは、他でもなく先程まで丘陵地の上から眺めていた家の小さな門扉。
アデルの後頭部がその鉄製の門に激突することで、漸く二人分の人間の身体は止まった。
しかし後頭部に激痛が走ったのとほぼ同時に、今度は鳩尾辺りに一緒に転がってきた相手の頭が突っ込んできて、アデルはすでにノックアウト寸前だ。
とりあえず、腹筋を鍛えておいてよかった。
「ぐっ・・・!;;」
「あ、あばぁっ!だ、大丈夫ですかっ!?;;」
自分の腹の上に頭をめり込ませていた相手が、慌てて顔を上げる。
それにしても、先程からリアクションを取った時の声が奇妙だ。自分は奇怪な生物にでも攻撃されたのかと思い、アデルはぐわんぐわんと揺れる頭を押さえて、目の前にいる人物を見た。
アデルの視界いっぱいに、透き通るようなラセットブラウンが広がっていた。
To be continued....