どこの学校にも、変わった人はいる。
見た目が目立つとか、行動が変だったり、意外な特技を持っていたりなど。
本当のところ、変わっている彼らがそのことをどう思っているのかなんて、傍から見ている普通の人間には分からないけれど、案外、周りが思っているよりも実は普通の人間だったりするのかもしれないし、やっぱり、ちょっと変わっているのかもしれない。
これは、とあるクラスに在籍しているちょっと変わったクラスメイトのお話。


うちのクラスのカナメくん
−委員長のCくんの場合−


なんで僕はこんなことをしているんだろう。何度も何度も頭の中で自分に問いかけながら、僕は二人分の学生鞄を抱えて、廊下を走っていた。


学級委員長。それは、その名称の響きから、一見とても重要な役割のような顔をしながら、その実、体の良い面倒係だ。

生徒一人一人のパーソナルデータが不明瞭な高校入学直後の新学期というやつは、教師側もとりあえずの役割決めをして、まずはこの学期を乗り切ろうと考える。そうした時、教師にとっても生徒にとっても都合が良いのが、メガネの存在だ。メガネ、つまりは分かりやすい委員長キャラである。
僕は、小学校低学年からのキャリアを持ついわゆるメガネキャラというやつで、比較的小さい頃からメガネをかけてきた。それはもちろん、視力が悪いという極々当たり前の理由からくるものだった。
しかし、このメガネキャラであることによって、被ってきた被害は数えきれない。
通常、人の視力の低下が表れ始めるのは、小学校高学年から中学生くらいだろう。それは単純に生まれてから生きてきた時間の長さの問題で、生まれた直後からの先天的な原因を除けば、後天的。つまりは、その人間の生活環境による影響が大きいからだ。人はどうしたって目を酷使する。何故なら、生きている中で視力が果たす役割があまりにも大きいからだ。年齢が若ければ若いほど、先天的な理由がない限りは、通常視力は良く、あとは生きているうちに目にするあらゆるものに影響を受け、何をより多く見てきたのかによって、視力の低下速度は変わっていく。そして僕は、この外的要因により、その低下速度が人よりも早かったため、メガネとの出会いも早かったのだ。
昨今、その外的要因が勉学によるものか、デジタル機器との触れ合いが多かったからなのかというのは、人によってまちまちのはずなのに、何故か人は、メガネをかけているとその人物をまるでガリ勉かのように見る。はっきり言って、迷惑甚だしい。
そしてここできっぱり宣言しよう。僕は、勉強が出来ない。
先ほどの視力低下の外的要因が何かを上げるのであれば、完全に後者の方だ。

しかし周りは、そんなことはおかまいなしに、何かあると僕がメガネキャラであるからというなんの根拠もない理由を盾に、学級委員長だとか図書委員長だとか、その他お堅そうなイメージの係を押し付けてきた。
そしてまた、高校入学と同時に同じ状況に陥る。
名前順で割り振られた席順は、目の悪い人間には優しい前方の席だったのだが、その位置的に教師に一番近いということと、僕がメガネキャラであるということの相乗効果か「じゃあ、委員長よろしく」というとてつもなく適当な流れで担任から抜擢された。これがまだ、このクラスに馴染んだタイミングであれば「○○さんの方が向いてます」だとかいくらでも理由をでっち上げて、他の人に押し付けることもできたのであろうが、高校入学したての今日現在のタイミングで、そんなことを言える相手がいるわけでもなく。僕は、断る術を見つけられずに、今日まで過ごしていた。

百歩譲って高校1年生1学期最初の学級委員長になるのは構わない。寧ろ、何もかも初めてだからこその甘えも許されるだろうと思えば、面倒な役割は早々に果たしてしまうが吉とも言える。
だが、高校入学直後の初学級委員長に課せられた使命にしては、これは些か重たすぎるのではないだろうか。
僕は重たい足取りで、自分の教室へと向かっていた。足取りが重たいのは、職員室で担任から渡された返却するプリントの束のせいではない。これを渡されたときに言われたある言葉によってである。
『なぁ、委員長。ちょっと折り入って頼みたいことがあるんだが。いいか?』
『・・・・なんですか?』
この時の「なんですか?」は普段の自分と比べても、1割増しで低い声だった。どう考えたって、嫌な予感しかしなかったのだ。そんな僕の声のトーンの低さをものともせず、担任はまるで僕にしか頼めない頼み事をするかのように、とはいえ、多少は申し訳なさを滲ませた声色で言った。
『うちのクラスの、大杉。いるだろ?あいつのこと、ちょっと気に掛けといてやってくれいないか?』
思わず出てしまったのは「・・・は?」というなんとも怪訝な声だったのだが、担任はその声を右から左へ聞き流し、なにやらベラベラと理由になるのだかならないのだかも分からないようなことを並べ立て、最終的に『じゃ、よろしくな。委員長』と全てを託したと言わんばかりの勢いで、自分の席へと戻って行ってしまった。
「・・・・は?」
担任がいなくなってしまった職員室の入り口で、僕はもう一度、そう声に出していた。

不良ってやつは、最悪だ。あいつらは、弱い奴を狙って執拗にアプローチをかけてくる。そして、自分の力を誇示し、他者を痛めつけることで自身の優位性を見出そうとする。
それは、長年メガネキャラを背負ってきた僕自身にも経験のあることだった。人は視覚的な情報が8割以上を占める。その情報の中で、これも何故だか“メガネ”という情報がそこから読み取られると、9割方、そいつのことを“弱い”と人は判断するらしく、いわゆる不良って奴らの格好の標的にされてしまう。
論理的に考えれば、それは確かに理にかなっていて、視力が人より劣るということは、つまりは「目が悪い」という弱点を持っていることにほかならず。それを証明するのがメガネの存在と考えると、人の合理的な思考というのは、かくも恐ろしいものなのかと驚嘆せざるをえない。

大杉要は、僕のクラスにいる、いわゆる不良と呼ばれる人物だった。

そいつは、そもそもの存在が物理的に大きいので、どんなに無視しようとしたって無視などできないくらい強烈な存在感を放っていた。
入学初日から、クラスメイト全員がそいつの存在を無視できないのと同じくらい、無視しようと努めていた。誰だって、自ら危険人物に近づくような真似はしたくなかったからだ。
それは僕だって同じで、学級委員長だなんだと言われたところで、クラスメイト全員に気さくに声を掛けるような人間でもあるまいし、彼には極力近づかないようにしていた。これは最早、処世術であり、護身術と言ってもいいかもしれない。

そんな大杉要を、担任は気に掛けとけと言ってきた。
一体どういう意味だ。担任が自分に望んだことがよく分からないまま、僕はその使命を忘れようとした。だって、いくらなんでも荷が重すぎる。気に掛けとけと言われただけで、具体的に何をしろと指示された訳ではないし、自ら進んで不良の目につく行動をとりたいとも思わなかった。
しかし、言葉とは不思議なもので、一度そうやって人からお願い事をされてしまうと、どうしたって大杉要の行動が気にかかってしまう。
授業中、彼は不気味なくらい静かに授業を受けている。時折、コロコロと口の中で何かを転がすような音がしているのが不思議だったが、それ以外は静かなものだ。不穏な噂話はいくらでも耳に入ってきたが、彼がその噂通りの行動をとっているところを、目撃したことはない。部活動に入るでもなく、誰も声を掛けることがないと、彼の存在はその身体の大きさに反して、意識の外に漏れ出していくようだった。
しかしそうしてクラス全体が彼を気に掛けなくなる頃合いになると、まるでそれを良しとしないかのように、クラス全体をぞわりとさせる瞬間がやってくる。
大杉要が、上級生不良グループと抗争を繰り広げている。
そんなマンガみたいな馬鹿げた噂をよく耳にした。
そして、ある瞬間、彼が授業に出てこないことがあると、なんとなくクラス全体がそわそわと落ち着きをなくす。大抵の場合、そうした授業の次の時間には何でもない顔をして席に戻って来ているのだが、その時にはいつだって、明らかに誰かとやりあったのであろう軽い怪我の痕や服装の乱れが目立った。こうしてまた、クラス全体で大杉要という不良青年の存在を強く意識することとなる。
僕は勉強もできなければ、人望の厚い親切な委員長というわけでもなかったので、そんな彼の様子を言葉通り“気に掛ける”ことは出来ても、その傷の理由や、ましてや怪我の具合なんかを尋ねることなんてできるわけもなく、ただその視界の端に映る彼の姿を見て、「ああ、やっぱり近づかないでよかった」とそう思うのだった。

体の良い小間使い的に思われている学級委員長は、放課後もちょっとした用事で担任に呼び出しを掛けられる。書類整理の手伝いだとか、明日の授業の準備だとか。なんで僕ばっかりと、そう思いながら、それでも担任相手に強い態度で出ることも出来ない気の弱い僕は、気が乗らないのだということを声のトーンにだけ落として「・・・・はい」とその日も応じていた。
放課後の呼び出しを終えて、教室に自分の鞄を取りに戻ると、当然ながら他に人影はない。だが、一席だけ、自分以外に荷物が置かれたままの机があった。
普段ならば誰の鞄が置かれていようと、自分には関係のないことだとすぐに意識の外に追いやってしまえる。しかしその日、その鞄が気になってしまったのは、担任に気に掛けてやれと言われた相手の机の上に、それが乗っていたからだった。
(まだ、帰ってないのか?)
鞄があるということは、そういうことだろう。部活に入っていない奴だって、なんらかの理由により、放課後、学校に残っていても別段不思議なことじゃない。でも、そいつはいつだって、このクラスの中でも浮いた存在だった。クラスメイトが話しかけることはほぼなく、他のクラスを含めても誰かと仲良くおしゃべりに興じているところも見たことがない。
なんでだかその日、僕は彼の机に近づいた。
胸騒ぎ?虫の知らせ?とにかく、それを確かめないといけないような気がして、机の上に無造作に置かれたその鞄を持ち上げた。
そして、鞄を持ち上げた瞬間、鞄の下に敷かれていたのであろう紙が1枚。ひらりと舞落ちる。それがなんであるか考える前に、僕は床に落ちたそれを拾い上げていた。それはよくあるノートの切れ端で、汚い文字で書かれた言葉を目にした瞬間、電気でドッと胸を圧迫されるような緊張が走った。

気がついたら、僕は大杉要の鞄を自分の鞄と一緒に抱え込み、教室を飛び出していた。


駆け出しながら、僕は自分がどうしたいのだろうかと考える。
『放課後、校舎裏に来い』
そう書かれた紙切れ1枚。冷え切った右手でくしゃくしゃに握りしめながら。近づかないでいようと思っていた不良の鞄を抱えながら。
紙に書かれたそれは、明らかな上級生からの呼び出しで。それを見た瞬間、僕は校舎裏を目指していた。行ってどうするんだとそう思いながら、でも、何故か行かずにはいられなかった。

下足箱を通り抜けて、右に折れる。部活動をしているグラウンドに向いて設置された水場の横をすり抜けて、長いこと手入れのされていない草がボウボウと生えた花壇を踏みしめて、校舎の壁の端から裏手を覗った。
乱れた呼吸を必死に押し殺しながら耳を傾けると、ブツブツと複数人の話し声が聞こえてくる。そっと覗き見るに、優に10人くらいはいるのではないかという上級生の人数に、僕はゾッとした。それらに囲まれ、壁際に追い詰められたところに、クラスでは見慣れてしまった明るい金髪が見えた。大杉要だ。
クラスでは、それは不良同士の抗争で、縄張り争いのようなものでと、そう噂されていた。
僕は、もうそのまま口から飛び出してしまうのではないかと思うくらい強く脈打つ自身の胸の鼓動を上から手で押さえつけながら、身体中に激しく血液を送る心臓の熱さとは対照的に、物凄い量の冷や汗をかいていた。

僕は知っていた。
あれが、抗争なんてそんな格好の良いものではないことを。
僕は知っていた。
彼の左隣りの席のAくんが、消しゴムを拾ってもらっていたことを。
僕は知っていた。
彼の右隣りの席のB子ちゃんが、最近彼に「おはよう」とそう声を掛けていることを。

僕は知っていた。
本当は、彼は不良なんかじゃないんじゃないかってことを。

でも、そのどれも僕が直接関わることのない。与り知らない範囲の出来事だ。僕は心のどこかで、彼がそうではないのかもしれないと分かっていながら、それでも頑なに関わることを避けてきた。
だってそれは、どちらにしても僕にとってきっと良いことではなかったから。

「おい!聞いてんのかよ!!」

上級生の罵声が飛ぶ。途端に、身体中に力が入って息苦しくなった。
この感覚を僕は知っている。

「1年生のくせに、髪染めていい気になってんじゃねぇっつってんだ!」

その言葉に、僕の頭は殴られたみたいにぐわんぐわんとなった。
人は見た目で判断する。メガネをかけていれば、頭が良いのではないか。委員長っぽいのではないか。弱いのではないか。あいつになら勝てるのではないか。
それが僕は嫌いだった。人を見た目で判断して、評価して、勝手にそういう奴だと決めつけて。でもじゃあ、僕は?僕は人を見た目で判断していなかっただろうか。
身体が大きいから。目つきが怖いから。金髪だから。そういう噂があるから。
そんな自分に気が付きたくなくて、僕は大杉要を避けてきた。
人の情報は視覚からが8割だ。だから、だから、だから。そうやって、自分だけ棚に上げて、僕は、彼が傷ついて教室に帰ってくる理由を、みんなが噂で言うように不良同士の抗争なんだと片付けていた。

ただ単純に見た目だけで目をつけられて、判断されて、標的にされる恐怖。上級生からの理不尽な呼び出し。理不尽な暴力。ただ見た目が気に食わないとか、チョロそうだとか、ウザイとかたったそれだけで振るわれる天災のような暴挙の数々。
僕は知っていた。
だから、彼の机から落ちたあの紙の文字を見た時、すぐに分かったんだ。これが、不良同士の抗争なんかじゃないこと。これは、一方的に行われる謂れのない暴力なんだということ。知りたくなかった。分かりたくなかった。だって、分かってしまったら、今度こそ無視はできない。だって、僕は知っている。その恐怖も。その痛みも。それを知っていながら無視したら、僕のことを知っていたながら見て見ぬふりをしていた中学の時の友達と同じになってしまうと思ったから。

走ってから大分経つのに、僕の呼吸はどんどん浅くなるばかりだ。
殴る音。蹴る音。大杉要は、何らか言葉を返しながらも声も上げずにそこにいた。
僕は、何か声を掛けようとするのに、喉の奥に硬い石みたいなものがつっかえて、上手く声が出ない。恐怖というのは、それだけで固形物のようにお腹の底を重くする。
でも、僕は知っていた。
僕が抱えて走ってきたこの鞄は、近づかないでいようと思っていた不良の鞄なんかじゃなく、クラスメイトの大杉要の鞄なんだってことを。

「うお、おまたせーーー!!!!」

場違いな大声に驚いて、上級生たちが一斉にこちらを向く。
僕の膝はそれこそ、これからステップでも踏んで踊り出すんじゃないかってくらいめちゃくちゃに震えていて、鞄を抱え込んだ両腕も、まるで骨なんかなくなってしまったんじゃないかと思えるくらい小刻みに痙攣していた。
いつ転んでもおかしくないような状態で、僕は顔を真っ赤にしながら声を張り上げる。
「うお、おおお大杉くん!ま、待たせてごめんね。ほ、ほら、一緒にかかか、帰ろう・・・っ!」
最後の声なんか、イントネーションも何もあったもんじゃない。子犬が慣れない遠吠えでもしたみたいな甲高い声が出た。
言い終わってから、今度は顎が外れるんじゃないかって思うくらいガチガチと音を鳴らしている。大杉要は、それこそ大きな目を驚く程目一杯に広げてこちらを見ていた。
そりゃそうだ。向こうは、僕のことなんか気にも留めたことがないだろう。でも僕は知っていた。だって、学級委員長だ。担任から“気に掛けてやれ”と言われた。もうそんな理由も、今となってはどうでもよかったのだけど、そんなことを思って己を奮い立たせてでもいないと、本当にその場に崩れ落ちてしまいそうだった。
「なんだぁ!てめぇは!こいつのダチか?ぁあっ?」
「ひぃっ・・・!」
自分に向かう上級生の剣呑な声と視線に、僕は悲鳴を上げて後ずさりかける。でもまだ、大杉要がそこにいた。なんとかその場に踏ん張って、そしてもう雀の涙くらいしか残っていない勇気ってやつを振り絞って、足を前に出した。前傾姿勢で特攻でもするみたいに飛び込んでいく。そして、半分くらい体当たりみたいな状態で、大杉要の前までくると、急いでその手を取った。「いこうっ!!!」と、今考えるとよくその場でもう一度あんなに声が出たなと思うくらい大きな声でそう言って、颯爽とその場を立ち去ろうとしたのだけれど、現実はそんなに格好良くはいかなかった。
「なに、勝手にどっか行こうとしてるんだよっ!」
「うっ・・・!」
見事に鳩尾を蹴り飛ばされて、そのまま横様に倒れる。腕に抱えていた鞄も地面に転がって、流石にもう膝が笑いすぎて立ち上がることが出来ない。ははっ、僕は馬鹿だな。折角、高校に入って、新しい生活で、もうこんなこともないだろうってそう思っていたのに。それなのに、自分から首を突っ込むなんて。そう思いながら、周囲からの何を言っているんだかもよく分からない上級生の罵声を聞きながら、これから自らに降りかかるであろう痛みの数々に備えて、ぎゅっと身を固くした。
「なんだ、てめぇっ!ぐうっ・・・!?」
頭上の声が、想像とは違うものになる。ハッとして顔を上げると、先程まで一方的にやられて座り込んでいた大杉要が立ち上がって、僕の隣りにいた声の大きな上級生を殴り飛ばしていた。真っ直ぐに立ち上がった彼は、その身長ゆえに迫力があり、地面に塞ぎ込んでいる今の僕なんかから見たら、まるで人間の村を襲う巨人のようだった。周囲の上級生たちからしてもそれは同じようで、急に反撃の狼煙を上げた長身の相手に、怯んだように後ずさりしている。

「オレちゃんの友達イジメるなら、怒るよ」

僕は知らなかった。
不良ではない大杉要は、でも、不良みたいに強いってことを。


10人もいた上級生たちが三々五々逃げていき、その場に残った膝に力の入らない僕の傍にしゃがみ込んで、大杉要は困ったようにその短くて先細い眉根を下げた。
「大丈夫?Cちゃん」
僕はあまりのことに、驚いて答えることができない。不良の、しかも絶対に自分じゃ敵いっこない上級生たちの群れに単身飛び込んで、もう本当に駄目だと思ったところで、まさかの逆転劇が起こり、そして、絶対に覚えてはいないだろうと思っていた相手から、ちゃん付けで名前を呼ばれた。気は動転する一方だ。
なんとかぎこちない動作で、頭を上下に降ると、大杉要は安心したように息をついて、その場にヘタリと座り込んだ。
「よかったー」
へにゃり。目を細めて、眉根を下げた笑顔でこちらを見るその顔は、どう見たって不良のそれには見えなくて。僕は、今まで彼の顔をこんなにまともに見たことがあっただろうかと自問する。そして、いやないと自答する。
呼吸や身体の震えが収まってくると、ようやく僕もその場にまともに座り込んだ姿勢になって、そして、ちゃんと真っ直ぐ大杉要と目を合わせた。途端に、胸の奥から、申し訳ない気持ちが湧き上がってくる。
口の先から、「ごめん」とそう言葉にしようとした時、その言葉を追い越すかのように大杉要は「ありがとう」と言った。
「助けに来てくれて、ありがとう」
そう言われて僕は、今度こそ口元が震えて言葉を詰まらせる。さっきまでの恐怖とは違う苦くて悔しい想いが気道を塞いで、「ぐぅっ・・・!」という変な声が出た。
目の前の大杉要が慌てている。慌てているのが、酷く滲んで揺れる視界の中でも分かった。

「ごめ゛ん゛・・・っ!!ぼぐぅっ、うぅっ・・・・!!!!」

ちゃんと言葉を言えるようになるには、もう少し時間がかかりそうだったが、落ち着いたら大杉要に伝えよう。
見て見ぬふりをしていて悪かったと。そして、僕のことを友達だと言ってくれてありがとうと。


END.