どこの学校にも、変わった人はいる。
見た目が目立つとか、行動が変だったり、意外な特技を持っていたりなど。
本当のところ、変わっている彼らがそのことをどう思っているのかなんて、傍から見ている普通の人間には分からないけれど、案外、周りが思っているよりも実は普通の人間だったりするのかもしれないし、やっぱり、ちょっと変わっているのかもしれない。
これは、とあるクラスに在籍しているちょっと変わったクラスメイトのお話。


うちのクラスのカナメくん
−隣りの席のB子ちゃんの場合−


「課題図書は、一人3冊まで。1学期中に読みたい本を探して、この用紙に書いて先生まで提出すること」

「はーい」という分かったのか分かっていないのか、一見、真面目な声が教師へと返される。
図書室。国語の授業は、自分で課題図書を選ぶという比較的自由度の高い内容で、高校初めの国語の授業としては、校内施設の案内も兼ねたものだろうと推測された。
私は、他のほとんどの人と同じように文学作品の並ぶ書棚へ向かい、なんとなく端から本の背表紙に目を走らせる。特に目当てがあるわけではなく、難しすぎず良く耳にするタイトルのものがあればいいなと思っていた。
目が止まったタイトルを引き出しては、パラパラと概要を見て、また書棚に戻す。いまいちピンとくるものがないまま、ゆっくりと横スライドするように棚の奥へと足を進めた。日本人作家、外国人作家、歴史もの、現代もの。そろそろ1冊くらい適当に決めた方がいいかもしれないと思ったところで、また一つ、目に留まるタイトルがあって足を止める。すぐには手を伸ばさず、左右を見渡す。人はいない。踏み台もない。もう一度、本の背表紙に視線を戻して、目視したその距離から無理だと頭で分かっていながら、それでも僅かな望みをかけて手を伸ばした。腕がピンと張る。足裏が引き伸ばされて、つま先に体重が掛かる。そしてやはり無理だったかと、溜息とともに、手を引っ込めた。

身長が低いっていうのは、それだけでコンプレックスだ。

身長が平均以上の人たちはみんな、口を揃えてこう言う。
「可愛くていいじゃん。」
褒めているというよりも、慰めているに近いニュアンスだ。これでせめて150cm台に乗っていれば私だって、いやいや、日本人女子の平均でしょって、胸を張って言えるところなんだけれど、残念ながら150cmにも満たない私は、どんなに背伸びしたって、“ちっちゃい子”のレッテルを貼られてしまう。
それは新しい環境になったところで変わることはなく、奇跡的に同じくらいの身長の人が多いクラスにでもならない限り、私はクラス一ちっちゃい子のままだ。
背が小さい。それは、それだけで十分コンプレックスであり、長年の私の悩みの種でもあるのだけれど、その悩ましさに拍車を掛ける出来事が高校入学と同時に起こるなんて思ってもみなかった。

忘れもしない。
それは、高校の入学式を終えた登校初日。私の左隣りにとてつもなく大きな壁が出来た。
壁。そう、それはまさに壁と表現すべきだろう。150cmを下回る身長の人間からしたら、160cmの人だって、十分過ぎるくらい遠い存在に思える。170なんて言ったら、それはもう話をするだけで首が痛くて仕方がない。それなのに、私の左隣りの席に座った人物は、それを遥かに上回る180cm台の巨人だった。
もう、ここまでいくと、話すのに首が痛いなんてもんじゃない。隣りに立とうものならば、たとえ見上げても、顔が見えない高低差だ。
正直、嘘でしょ。って思った。窓際から3列目。一般的に言っても、それほど外の景色を楽しめない位置の座席であることは間違いないが、こんなに閉塞感(いや、圧迫感?)の強い位置取りでもないはずだ。日の傾きがある一定の場所に差し掛かる時間帯になると、私の机は完全に日陰になった。もちろん、左隣りの席の人物があまりにも大き過ぎるからだ。なにより、私の閉塞感はともかく、クラス一背が低いであろう私と、クラス一背が高いであろう彼が、前から3番目の席で隣り合っていること自体が、よく考えたらおかしい。
このクラスの席順に物申したい人は、きっと私以外にもいるはずで。それでも、初日の名前順に座らされた座席から、席順が動くことはなかった。
斯く言う私も、未だに先生にすら物申すことが出来ない。本人になんて、それこそ無理な話だ。何故ならこの左隣りの巨人は、ただ巨人であるだけならばともかく、校内でも有名な不良というやつだったからだ。
上級生不良グループと日々抗争を繰り広げているだとか、咥え煙草で堂々と校内を歩き回っているのに、あまりの恐ろしさに教師も注意が出来ないだとか。全ては人の噂話ではあったが、火のないところに煙は立たないとも言うし、確かにたまに抜けている授業があることや、手に擦り傷をつけていたり、明らかな服装の汚れがある時もあった。(残念ながら、私は身長の関係で手元や首元くらいまでしか観察できない)
ただでさえ、物理的に顔を見るのが難しい相手。それがそんな恐ろしい噂話を聞かされれば、私はその顔をまともに見ることは出来なかった。とにかく、私の高校生活は、「花の」とはとても言い難いスタートを切ることとなる。

(そんな日陰生活にももう慣れたと言ってしまえば、そうだけど)
ただでさえ、元来持ち合わせていたコンプレックスを更にコンプレックスたらしめる存在に隣りに居られて、気分の良いものではない。
そんなことを思いながら、私はもう一度だけ、書棚の本に手を伸ばした。
手の先を掠める本の背表紙。それは何度その前を往復したところで、掠めるばかりで、一向に掴めやしない。そろそろ肩も痛くなってきて、私は腕を降ろし、一度軽く肩を回した。
「わっ」
「えっ」
回した右腕が不意に何かにぶつかる。
感触とそこから発せられた声からして、人に当ててしまったのだと気づいた私は、慌てて後ろを振り返った。
「あ、ごめんなさいっ・・・!?」
振り返って更に驚く。そこには、シャツのボタンがあった。シャツのボタン。つまり、人のお腹が目の前にある。身長の低い私は、振り向いた先に相手の顔がなかったことなんかザラだ。さらに言えば、頭が肩にぶつかることもしょっちゅう。しかし、顔の前にお腹があることなんて、そう多くはない。
ヤバイ。反射的にそう思って、顔を上げずに、わざと下を向いた。私の足よりも1周りも2周りも大きな相手の足が目に飛び込む。こんな時、高校生というのは便利で、校内では決められた上履きを履き、そこには必ず見える位置に名前が書いてある。
“大杉”
それが目に飛び込んだ瞬間、嫌な予感が的中したことを悟った。
(大杉要だ・・・っ!)
隣りの席の、顔もまともに見たことがない巨人。そして、噂に名高い不良。
私は何度かパチリパチリと瞬きをして、その事実が書き変わらないだろうかと願ったが、そんなミラクルが起こるはずもなく、何度見てもそこに書かれているのは、隣りの席の得体の知れない巨人の名前だった。
心臓が一気に冷える。咄嗟に謝ったけど、許してくれるだろうか。ぎゅっと両手を握りしめて、次に一体どのタイミングで顔を上げたらいいものかと考えていた。
(そうだ。このまま下を向いたまま、この場を去ってしまえば)
言い逃げのように、もう一度だけ「ごめんなさい」と謝って、その場を離れてしまえばいい。そう思い立って、慌てて相手の身体がある方とは逆の右サイドへ逃げようとした。
「ごめんなさ、い・・・?」謝ろうとした、たった6文字の言葉は、その全てを出し切る前に、半分位から後は尻すぼみの変なイントネーションになってしまった。その上、その場を離れようと動きかけた身体がぴたりと止まる。下を向く私の視界の前に、1冊の本の表紙が飛び込んできたからだ。『銀河鉄道の夜』。それは先ほど、私が懸命に手を伸ばして取ろうとしていた本のタイトルだった。
どういうことのなのか理解出来ずに、ただあまりにも唐突だったので、視界に飛び込んできた本から目を離すことも出来ないまま、5秒くらいが過ぎた。
「これ、取りたかったんじゃなかった?」
「!」
頭上から降ってきた声に、思わず顔を上げる。

私は今まで、大杉要の顔をまともに見たことがなかった。
噂では、端の吊り上がった大きなギョロ目の三白眼。ツンツン立った金髪と額に着けられたヘアバンドが特徴的で、その目に睨まれたらひとたまりもないという。それはそれは、恐ろしい。鬼のような形相を想像していた。
そして今、私の前に大きな目が二つ。じっと私を見つめている。
確かに噂の通り、大きな目だった。吊り上がり気味のそれは、でも噂で想像していたものよりも随分と緩やかな弧を描いていて、ギョロ目というより猫目と表した方が合っているように思えた。その大きな目の中に、アーモンドのような茶色い小さな瞳が乗っている。愛嬌のある顔だと思った。その大きな目をパチクリと瞬かせて、目の前の巨人は、今度は小首を傾げながら言う。
「あり?違った?」
その声が、喋り方が、あまりにも想像していたものと違っていたので、私は最初に声を掛けられた時も、思わず顔を上げてしまったのだ。
身長145cmの私の目線に合わせるように膝を折っているのか、本来ならば見ることの出来ないはずの位置に、巨人の顔がある。それが巨人だと知っていなければ、まるで小さな男の子を相手にしているような気分だった。
「違って・・・ない・・・・」
「よかった。どうぞ」
自分の両手の上に置かれた本を呆然と見つめる。確かにそれは私が取りたかった本ではあったのだが、そんなことはすでにどうでも良くなっていて、これは一体どういうことだろうかとぐるぐると頭の中で考えていた。
巨人はやるべきことを果たしたとばかりに、折り曲げていた膝を伸ばして、私が今まで見ていた棚を物色し始める。当たり前だが、彼もここに本を探しに来たのだ。いつまでもそこで呆けているわけにもいかないので、私も並んで同じ棚の方を向きながら、手元の本をパラパラと捲ってみるが、内容は一向に頭に入ってこなかった。他の本なら、興味が沸かなければすぐに棚に戻しているところだが、困ったことにこの本は自分では戻すことができない。といって、隣りの巨人にもう一度頼む勇気も沸かずに困り果てる。
恐ろしい不良のイメージからは到底かけ離れた先程の表情や喋り方が、本当にあった現実の出来事なのだろうかと、半分くらい自分の記憶を疑いながら、怖いもの見たさ的な感覚で、もう一度、右隣りに立つ巨人へ視線を向けた。当たり前だが、私の視界に入るのは、精々脇腹くらいまでだ。
彼は制服のジャケットを脱いで、自前のボーダー柄のカーディガンを着ている。通常、校則では派手な柄は禁止されているはずだが、彼がそのボーダー柄のカーディガンを着ているのは今日が初めてではないことを私は知っていた。いつも私の視界の端に映る彼の格好は、ボーダーのイメージが強い。濃い目の紫ボーダーは、人から聞く彼の噂とあいまって、まるで、自然界の動物が、自分が毒を持っていることを主張する時に使う、警告色のようだなと思っていた。
よく見てみると、カーディガンのポケットが不自然に膨らんでいることに気がつく。
(何か、はみ出してる・・・?)
こんもりとしたポケットから白くて細い棒状のものが飛び出していた。一体何をそんなにいっぱい詰め込んでいるのだろうかとじっと見つめていると、不意に上から彼の左手が降りてきて、そのポケットの中をごそごそとする。飛び出していた白い棒を摘んで、引っ張り上げた。
「あ」
白い棒の先についていたのはキャンディーだ。いわゆる、よくある子供向けの棒付きキャンディーというやつである。私は飛び出してきたものが意外すぎて、それを持った手から目を離せずにいた。そして、自分が思わず声を出していたことに気がつかなかった。
「B子ちゃんもアメちゃんいる?」
「え」
またしても上から降ってきた声に驚いて、顔を上げる。しかし、先ほどとは違って、真っ直ぐに立った状態の彼の顔は、天井から落ちる蛍光灯の明かりが邪魔して、表情が見えなかった。
急激に恐怖が私の胸を鷲掴んだ。恐い。これは、本能的な恐怖だ。想像してみてほしい。自分より40cm以上も高い位置から、壁のような人間に覗き込まれる感覚を。私は全身にぞわりと悪寒が走るのを感じていた。その悪寒が身体を走り抜けたのから1テンポ遅れて、掛けかられた言葉が頭をよぎる。今、この巨人は私のことをなんと言った?B子ちゃん?で、なんて?アメちゃんいる?
おそらくは、私が相当怯えた顔で凍りついていたからだろう。巨人はまたしてもわざわざ膝を折って、私の目の高さに顔を合わせた。
「はい。アメちゃん」
照準があったその顔が、あまりにも穏やかで何の敵意もない顔だったので、思わず手を出していた。私の手の中に、星の形をしたキャンディーが二つ乗せられている。
「アメ・・・・」
「ニシシ、先生には内緒だよ」
目の前の顔がニッと両側に大きく口端を引っ張った、いたずらっ子の笑顔を形作った。私は思わず、こんもりとしたポケットの方に視線を向けた。
「いつも、持ってるの・・・・?」
「オレちゃん、アメちゃん食べてないと集中力なくなっちゃうんだ。だから、いつも持ち歩いてるの」
ペリペリペリと、目の前で先ほど手に取っていた棒付きキャンディーのキャンディー部分についたビニールを破ると、それをヒョイと口の中に咥えた。
(あ)
瞬間的に、友達が話していた噂話を思い出す。
『なんかね、隣りのクラスの人が見たらしいんだけど。この間、あの大杉要が煙草を咥えたまま、廊下を平然と歩いてたらしいよ。なのに、先生も誰も一切注意してなかったんだって』『えー!なにそれ、こわーい!』
目の前の彼からは、煙草の匂いなんて一切していない。寧ろ、アメを舐めているからなのか、甘い、幼い子供のような香りがしていた。私はまるで、学校の噂になっている幽霊のくだらない正体を知ってしまったような気分になって、思わず、ふすっと笑いを零した。目の前の顔は、キョトンという漫画のような表現がそのまま当てはまるような顔をしている。
「ふすっ、・・・大杉くんって、変わってるんだね」
「そう?」
コテンと、またしても小首を傾げる仕草。これはきっと癖なんだろうなと思い、私はまたふすふすと笑いを零す。そして、ハッとして口元を隠した。私はよく、この笑い方でも人からからかわれる事があった。空気が漏れるような変な笑いになってしまうのだ。じっと、こちらを観察するように見られていることに気がついて、カッと頬が熱くなった。しかし、大杉要は、またニッという口端を大きく引っ張った笑顔を作って、今度はその大きな目を細めながら笑う。
「B子ちゃんも、笑い方変わってるね。オレちゃんとおんなじだ」
「!」
ニシシッと、彼も独特の笑い方をすると、流石に長時間膝を折り曲げていたのが辛かったのか、スッと立ち上がって、伸びをした。そして、ついでみたいに言ったのだ。
「あ、オレちゃんのことは要でいいよ。B子ちゃん」
高校に入学して、まだ日も浅い。仲の良い女友達以外で、私のことを下の名前で呼ぶような人はいなかった。そもそも、なんであんたは私を下の名前で呼んでいるんだとか、それ以前に名前ちゃんと覚えていてくれたんだとか、どう処理していいのやら分からない感情が湧き上がって、私はムズムズと膝と膝を擦り合わせた。
私がそんな些細なことでそわそわしている間に、彼はこの辺りの棚を一通り見終えたらしく、しばらくすると「じゃあね」と言いながらひらひらと手を振って、別の棚へ行ってしまった。思わず手を振り返しながら、私は自分の手元に残った書籍とキャンディーを見つめながら、自分の身に起こった不思議な出来事を思い返して、自分の中の“大杉要”という人物プロフィールに「アメが好き」と書き加えた。

明日の朝登校したら、真っ先に彼に声を掛けてみよう。
「おはよう、要くん」と、ちゃんと顔を見ながら言ってみるのだ。そうでもしないと、今日起こった出来事が嘘になってしまうような気がした。
きっとこれから先、私は隣りにいる彼の存在に怯えることはないだろう。だって、そのポケットいっぱいに詰め込まれたキャンディーの存在を知っているのだから。


END.