どこの学校にも、変わった人はいる。
見た目が目立つとか、行動が変だったり、意外な特技を持っていたりなど。
本当のところ、変わっている彼らがそのことをどう思っているのかなんて、傍から見ている普通の人間には分からないけれど、案外、周りが思っているよりも実は普通の人間だったりするのかもしれないし、やっぱり、ちょっと変わっているのかもしれない。
これは、とあるクラスに在籍しているちょっと変わったクラスメイトのお話。



うちのクラスのカナメくん
−隣りの席のAくんの場合−



カリカリとシャーペンが走る音。おしゃべりの声も何も、他には聞こえてこない。
静かなのは今が授業中で、その上、授業開始直後の小テストをやっているからだ。いわゆる10分間テストってやつだ。
(しまったなぁ・・・)
10問くらいの小テストを解きながら、俺は先程から同じ言葉を頭の中で繰り返していた。問題は大方解き終わっていて、あとは一箇所だけ。問3の問題、答えはAだ。その解答用紙には、初めに間違えて@と書いてしまったのを二重線で消してAと書いてある。
本来なら、当然消しゴムで消して書き直せばいいものなのだが、俺の消しゴムは現在遠いところに旅に出てしまっている。
(そう、遠い遠いところに・・・・)
チラリと、横目で右隣りの机の下に視線を向ける。つい先ほど、使おうとして机から落としてしまった俺の消しゴムは、右隣りの机の丁度真下に転がっていた。
いやいや、落としたんなら声掛けて拾ってもらえばいいじゃん。ってそう思うだろうけど、これはそう簡単な問題じゃない。
そのまま視線を足元から少しずつ上に上げていくと、右隣りの席の人物の顔が目に入る。入った瞬間、すぐに視線を手元の小テストに戻した。
(いやいやいや、無理でしょ。やっぱり。)

うちのクラスには、変わった奴がいる。
変わっているというか、いわゆる不良というやつだ。ガラが悪いと単純にいうのとはちょっと違っているが、とにかく目立つ見た目をしている。
身長は、軽く180cmを超えているだろう長身で、三白眼の大きなギョロ目。目尻もつり上がっていて、あれで睨まれたら、ひとたまりもない。そして、極めつけに頭は金髪でツンツン立っている。何故か、額を隠すようにしてヘアバンドをしているのだが、それがまた目の上に影を作るもんだから、余計怖い。
高校入学当初、入学式に出席していた新入生一同の中でも、飛び抜けて目立っていたので誰もが一瞬で注目をし、そして、一瞬で目を逸らした。そりゃそうだ。だって、どう見たってひと目で不良と分かる見た目をしていたのだから。誰だって、心の中で「こいつとだけは絶対にお近づきになっちゃいけない」って思うだろう。それが・・・・
(なんで、よりによって隣りの席かなぁ・・・・)
入学したばかりの席順は、よくある名前順に窓際から座っていく方式の座席決めだったので、その名前順ってやつで、俺は奇しくもそいつの隣りの席となってしまったのだった。

“大杉要”

それが奴の名前だ。このクラスの苗字あ行率の高さが仇になった。窓際1列が「お」の前までで埋まってしまって、2列目の前から3席目に大杉が座る。俺は空間を広々と使えて景色も見られる窓際席の獲得を喜ぶ間もなく、隣りの席に着いたそいつの姿に絶望すら覚えた。
そいつの身長を考慮したら、いくら考えるのが面倒だからって、前から3席目の位置には座らせないだろう。このまま1学期まるまるこの席順だとしたら、こいつの後ろの席の奴が不憫すぎてならない。なんてことは、俺だけじゃなく、きっとクラス全員がそう思っていたはずで。それじゃあ、なんでそのままこうして名前順の席になっているのかといえば、先生含め、ここにいる全員が、そんなことを指摘した先にこの不良に目をつけられてしまうんじゃないだろうかと考えたからだろう。

この大杉が不良ではないという説も考えてみなかったわけではない。
神様のいたずらでもなんでも、隣りの席になったからには、この先グループ学習的な何かで必ずコミュニケーションをとらなければならない場面は訪れるわけで。その時の自分の気持ちを少しでも軽くできる要素があるのであれば、飛びつかないわけがない。
が、しかし、自分から「君は不良ですか?そうではないですか?」なんて訊ねることができるほど、俺も無謀な人間でもないので、未だに「おはよう」の一つも会話を交わしたことがない。そしてそれはきっと、俺以外のこのクラスの人間の殆どがそうだと思う。
最初の自己紹介の時に、少しでも人と成りが分かればと思っていたのだが、何故かそのタイミングで彼は席にいなかったりした。入学式を終えた新入生が、一斉に教室移動する時に一体どうやってそこから抜け出すのか分からないが、誰かの話によると、上級生の不良グループに校舎裏に引っ張って行かれていたとかなんとか・・・・。そんな噂もあった翌日の登校初日には、頬に絆創膏が貼られていたこともあいまって、噂は噂を呼び、“大杉要は、上級生不良グループも手を焼くガチの不良”みたいな見解となっている。
俺の儚い希望は、殆どもろくも崩れ去ったと思っていいだろう。

カリカリ・・カリ・・・
シャーペンの筆記音も収まってきた。小テストは10問。それほど時間のかかるものではない。
隣りの大杉要も、随分前にペンを置いている。
(一つだけ引っかかることといえば・・・・)
大杉要は、比較的授業に出ている方だ。いや、普通の高校生なら当然のことなのだが、一般的な不良のイメージから言うと、それは異様な気がしていた。
極たまに、それこそ、噂の元になった上級生不良グループみたいなのに呼び出しを掛けられたとかなんとかってことがあると、彼の席が空いていることがある。でも、そういうことで授業をサボることがあっても、すぐ次の授業には出席していたりする。
(真面目・・なのか・・・?)
真面目な不良ってなんだ。と自問自答してみる。
テストの点数なんか知らないし、授業で当てられることもない(どう考えても教師側が避けている)ので、彼の学力は分からないが、意外と、ちゃんと授業を受けようという気持ちがあるようで、授業中に何か問題を起こしたところも見たことがないし、そう言った意味で、俺の中には「彼は不良ではないのでは」という説が根強く残っていたりするのだが、とはいえ確証もないので、その説はほぼ伝説のような扱いになってしまっていることは間違いない。

と、そんなことをつらつらと考えてみたところで、俺の消しゴムが戻ってくる訳でもなく。
(この授業が終わるまでは、消しゴムなしで頑張るしかないか・・・)
ピピピピッと先生のタイマーが鳴る音が響いて、周囲が息をつくのが分かった。

「はい。それじゃあ、隣の人と交換して。これから答えを言っていくから、お互いに相手のテストを採点するように。」

「えっ・・・」
思わず声が漏れた。
え、先生は今なんて言った?いや、そういう事態を全く想定していなかった訳ではないけど、今じゃないだろ。じゃあ、いつなんだって言われても、答えようがないのだけれど。
俺は内心、滝のような冷や汗をかきながら、ゆっくりと右隣りに首を回した。油を差していないロボットみたいにギギギッとぎこちない音が首元から漏れ出ているような気がした。
隣りを見ると、大杉要がじっとこちらを見つめて自分の解答用紙を差し出している。まともに目を見たのは、それが初めてだった。
(目が、茶色い)
三白眼の真ん中にポツンと乗った小さな目は、勝手に想像していたものとは違って、こちらを睨みつけるでもなく、蔑むでもなく、ただ淡々と見つめている。

「はい。」

それがあまりにもなんでもない言葉過ぎて、すぐに反応することが出来なかった。
大杉要が、自分の解答用紙を俺の方に差し出しているその行為に言葉を添えただけだという事実を頭が認識すると、一拍遅れで「お、おう。」というすっとぼけた声が出た。
おうってなんだおうって。我ながら、今まで警戒心丸出しで対応しようと思っていた相手に対して出した言葉とは思えず、発した声から更に一拍遅れで心臓がドクリと小さく脈打つ。お互いの解答用紙を交換しながら、今の対応で相手が気分を害していないだろうかと不安になって様子を伺うが、大杉要の方はなんとも思っていないようで、淡々と、それこそ、先程の彼の目と同じように淡々とその解答用紙に赤ペンを走らせ始めた。
あまりにも想像していた状況とのギャップがありすぎて、寧ろ、俺の方がもぞもぞとした、なんだか不自然な動きをしてしまう。
(なんだ、別に普通じゃん。)
心の中で呟きながら、どうにか己を落ち着かせようと試みるが、自分がマル付けしなければならない解答用紙が、噂の不良のものだと思うだけで、手が震えた。
視線を向けた解答用紙に書かれた文字は、これまた想像していたものよりも普通で。普通というよりか、少し綺麗な部類の文字だったことに動揺する間もなく、先生の読み上げる解答を慌てて追いかけるように赤マルをつけていく。
マル、マル、マル、マル・・・・・
(あれ、こいつ意外と・・・・)
勉強できるな。
高校1年生1学期初期の10問程度の小テストの点だけで、勉強の出来る出来ないを判断するなんてとんでもないことではあるが、不良と名高い人物が、真面目にこの問題に取り組んでいたという事実が、何よりも衝撃だった。
そして同時に、俺は自分の過ちに気がつく。
(あ、問3の答え、@でよかったのか。)
先ほど、自分が消し直すことが出来なかったところだったので、記入した内容を鮮明に覚えていた。これで隣りにいるのが仲の良い友達とかだったら、ちょっと隣りの肩をつついて、手のひらを合わせたポースなんかとって、「見逃してくれ」みたいなやりとりの末に、書き直してマルをもらったりするところだ。
(いやいや、いいんだよ。ズルは良くないしな。うん。)と自分を納得させて、そんな考えを頭の片隅に追いやった。

ツンツン

俺の右肩に小さな衝撃が走ったのは、そんな邪な考えを追いやった直後の出来事。
それが、シャーペンか何かでつつかれたのだということは、ここまで十何年生きてきた人間としての経験上、すぐに気がつくことができたのだが、自分の右肩をつつける位置にいる人物の想定がされないまま、反射的にそちらに顔を向けてしまったため、こちらを見つめている人物と目が合った直後、「ひぇっ・・・」と小さな悲鳴が漏れ出てしまった。合わせて肩もオーバーなくらい跳ね上がった。
大杉要が、シャーペンを持った手をこちらに伸ばした格好で、じっと見つめている。

「ひ、あ、な、なんでしょうか・・・」

壊れた見習いロボットみたいな酷い返しになってしまい、我ながらビビリすぎていることを自覚する。
大杉要は、チラッと教壇の方を一瞥してから、こちらに視線を戻すと、こそこそとした動作で俺の解答用紙を持ち上げて見せながら、シャーペンの先でマルのついていない解答欄を指し示す。
問3のところだ。
「ここ、惜しいけど、@にしておく?」
ボリュームを落とした声は、これまた想像していたよりも甘ったるい、子供のような響きをしていた。
そして、自分が想像してた、とんでもなく高校生っぽい、普通のことを聞かれているのだということを理解すると、「あの大杉要が?」という驚きと「じゃあ、お願いしようか」という現金な考えがごっちゃになって、俺も先生の動向をうかがいながら、合わせて声を落として「じゃ、じゃあ、頼む、ます、です」なんてそれこそ訳の分からない返答をしていた。

大杉要は、コクコクと小刻みに頷いて、用紙を手元に引き戻すと、自分の消しゴムでさささっと解答を修正する。
俺は、今、自分に一体何が起こっているのか分からないまま、大杉要が書き直した解答に赤マルをつけているところを見ていた。
(え、なに、こいつ、意外と・・・・)
「はい。そしたら、解答用紙を戻して、後ろから回収して。」
先生の声に、ハッとする。大杉要はなんでもない風にこちらに用紙を差し出していた。
俺も慌てて、解答用紙を手渡す。手渡しながら、自分の解答の問3が、やけに綺麗な文字で「@」となっているところを見つめていた。

「Aちゃん、消しゴムどうしたの?」
「は?えっ・・・?」

自分の自覚の外にあるような、とんでもなく間の抜けた声が出た。
え?今、なんて言った?Aちゃん?消しゴムがなんだって?
甘ったるい、子供のような喋り方。それが、自分の右隣りの人物から発せられたのだということに気がつくまでに、余裕で2秒は掛かった。
見ると、またあの茶色い目がこちらをじっと見つめている。それも、小首を傾げた動作付きだ。身長180cmの男の小首を傾げた仕草なんて、初見過ぎて、何一つまともな反応が出来ない。
「あ、え、なに・・・?」
「消しゴム。忘れちゃったの?」
消しきれていない解答用紙。そんなものを見たら、当然、沸くであろう疑問だということを俺は失念していた。反射的に、視線が大杉要の足元に落ちて、そこにある自分の消しゴムの存在を思い出す。すると、大杉要も俺の視線の先に気がついて「あぁ、落としちゃったのか。」と言いながら、縦に大きな身体を折り曲げながら、角の削れた小さな消しゴムをひょいと摘まみ上げた。
そしてそれは、俺の机の上にちょこんと乗せられる。
「はい。言ってくれたら、取ったのに。」
「あ、はい。」
我ながら、よくここまで間抜けな声が出せたものだと思うくらい、間抜けな返答だった。間抜けが服を着て歩いていたら、きっとこんな声を出していたに違いない。
背後から解答用紙が回ってきたので、慌ててそれに自分のものを重ねて前へ渡す。隣りも当然同じ状況になっていて、もう、あの茶色い目はこちらを見ていない。
意識的に、視線を目の前の教壇の方へ押しやって、今、自分の身に起こったあれやこれやをまとめようとするが、まとめられる気は、終ぞしなかった。

とりあえず。

(とりあえず、授業が終わったら、ちゃんとテストと消しゴムのお礼を、ありがとうって言おう。)

それが、普通の親切を受けた者の、普通の返し方だろうと思った。


END.