『Garden』
−プロローグ−



『先生、質問してもいいですか?』
『あら、どうしたの?』

幼い少女は、その小さな身体からはみ出してしまう大きさの本を手に、幾分か心許ない足取りでその女教師の足下に近付く。
女教師は、眉の上で綺麗に切り揃えられた前髪を揺らし、肩から肩胛骨に掛けて伸びるダークブラウンの髪をそっと左手で背の方へと流した。
傍へ寄ってきた少女と目線を合わせるように膝を折ると、少女は好奇心の灯った明るい瞳で彼女の思慮深いグリーンの瞳を見つめる。子を思う母親のような優しい色に、少女はその大きな瞳を目一杯に開いてじっと見入り、そうしてから、思い出したように本の上に視線を落とした。

『この線は、なんの線なんですか?』

大きな本は、小さな両の手ではしっかりと支えられずにゆらゆらと少女と女教師の間で揺れる。女教師は、目の前の少女と比べれば随分と大きいが、細くしなやかな手で少女の本を支えてやった。そして、支えを得てやっと安定したらしい本の開かれたページに、先程まで少女に向けられていた温かな瞳を向ける。
少女がふっくらとした小さな指先でなぞるように該当の箇所を示すと、彼女はあぁと歌うように優しいアルトの声を漏らした。

『これはね、国境よ。』

少女は初めて耳にする単語に、どこまでも透き通るようなブラウンの瞳を、毛足の長い睫毛を揺らしながら瞬かせる。女教師はその頬に微笑を浮かべた。

『この線で囲まれた所が、私たちが住んでいる国。こっちの線で囲まれた所が、お隣の国よ。』

女教師の若く綺麗な指先が、魔法のように地図上に書かれた線の上を滑るのを見つめて、少女は彼女と同じ言葉を口の中で反芻した。その様子を、女教師はまたあの慈母の微笑みで優しく見守る。何度か言葉を繰り返し、漸くその意味を理解したらしい少女は、途端に愛らしい大きな瞳を輝かせて彼女の方を見た。

『それなら、ここにはきっと、大きな山があるか大きな川が流れているのね。』

女教師は自分に向けられた明るいブラウンのあまりにも自信に満ちた輝きに、思わず、言葉を返すタイミングを逸してしまった。少女はほんわりと膨らむ両頬を、新しい発見への溢れんばかりの喜びで薄赤く染めて、まるで素敵な宝の地図でも手にしたように自分の手に余る本を見つめる。
女教師は思慮深いグリーンに憂慮のブルーを染め入れ、目の前の少女に何と言って答えたものかと、僅かに口の端から息を漏らした。